1983年に太田プロが水喜ビルへ移転すると、1984年にはその跡地である四谷サンハイツの314号室へ今度はたけしさんがスライドするように居を移しました。
このマンションには太田プロ名義で、マネージャーやタレントの仮住まい用にいくつか部屋を分譲で所有しているそうです。
このマンションの駐車場に当時、たけしさん送り迎え用のベンツやロールスロイス。たけしさんのポルシェが停められていたとか。
実際にバラエティ番組の黄金期を迎える1985年になるとこのマンションの前に、熱心なファンが幾人もたむろしていたそうで、残念な事にマスコミもそれで住まいがわかり、一年も経たずに引っ越しをする事になったそうです。
■関連書籍
①ビートたけしのニッチも幸(サツチ)も(扶桑社)
■関連音源
①アルバム『AM3:25』
②シングル『抱いた腰がチャツチャッチャッ』
居住期間:1984〜1985
妻と相談し企画の第一弾として、バラエティの時代(凡そ1982〜1988 )のお住まいの変遷をまとめてみようとなりました。そう、『変遷』と言っても差し支えないほど引っ越しが多かったようです。
画像は残念ながら現在のものです。幸いすべての建物は現存しておりますので、運動不足の解消もかねて二人で散歩がてらまわってみました。
結果は非常に楽でした。
なぜならこの時代のほとんどたけしさんは太田プロ所属であり、住居もその付近だったのです。
まず最初は『ダイアパレス四谷舟町』ANNでもさかんに登場する焼肉店『羅生門』実はここの上のマンションにたけしさんはお住まいになっていました。
■エピソード
①ラッシャー板前入門
②グレート義太夫入門
■関連書籍
①ビートたけしのおもわず幸せになってしまいました(扶桑社)
②ビートたけしの無条件幸福(扶桑社)
■関連音源
①アルバム『おれに歌わせろ』
②アルバム『これでもか』
居住期間:1982〜1983
ビートたけしにはお笑いの『ビートたけし』と作家としての『北野武』と二つの顔がある。
そしてその足跡も、漫才の時代、バラエティの時代、映画の時代と三つの時代がある。
インターネット上を眺めると映画に関しては多くのコアなファンが、独自にサイトを展開しており、漫才に関してもやはり書籍も映像も揃っているように見える。
そこでこのブログでは、ビートたけしが全国区となり、そして映画へ進む過渡期を含むバラエティ全盛時代を中心にまとめてゆきたいと思う。
このブログを書こうと思ったのは、うちの妻がたけしさんのファンクラブの元スタッフ(20年以上前)であったこと。
彼女は夥しいほどの画像や会報を所蔵しており、そのほとんどが未公開であろう事から、これを当時同様にファンであった方や、知られざる方々へのお役に立てればと考えた次第です。
肖像権に抵触するかも知れませんが、その際にはご一報下されば幸いです。